茶功アカデミー

第3章 · 3 / 8

ココロの食べ物

「茶禅一味」を手がかりに、意識を曇らせる酒と意識を澄ませる茶という対比から、お茶が精神の食べ物であることと、瞑想との不可分な関係を見ます。

「茶禅一味」。
この言葉こそ、中世から近世にかけてのお茶・茶文化の目標を表現しています。

禅の修行で目指す「雑念を排した静かな心の状態」と、お茶を味わうことに集中して得られる「清らかで落ち着いた心境」との間に、共通する感覚があったのです。

お茶が「心」を助け、健全な「心」の働きは精神を研ぎ澄まします。
お茶は精神の食べ物といえます。
ところで余談ですが、お茶以外に人の心に作用する飲み物といえば、代表的なのがアルコール飲料です。

お茶もお酒も太古の昔から存在してきた食文化の重要な要素であり、その根拠は強力な精神変容作用です。

大まかにいえば、お酒は意識が曇る酩酊状態をもたらし、お茶は意識が澄みわたる覚醒状態をもたらします。

そこで、お茶にこだわることは、徹底的に自分と向き合うことだ、ということができるでしょう。
実際に、お茶をツールとして、先人たちは徹底的に自分自身、そして自身の内面と向き合ってきたといえます。

多くの禅寺・修行の場では、坐る前後に喫茶を行う所作が見られます。
茶は集中を整える補助として用いられてきました。

例えば、禅寺である天童山に伝わる瞑想法にはお茶が欠かせません。
お茶が表現する味わいに全身全霊で接して意識を覚醒させ、瞑想を深めます。

お茶と瞑想の組み合わせは不可分であり、必然ともいえます。
お茶を味わう行為は、一種の瞑想であり、日常生活の中に潜む「道」、を探求する実践ともいえます。
忙しない現代だからこそ、「品茗論道」、の精神を大切にしたいですね。