茶功アカデミー

「待てる」をつくる

今年の春、私は一つの面白い発見をしました。
いつものベトナムの茶産地で、宿に置かれていた緑茶を飲んでみると、少し熟成が進んでいて、緑茶の新鮮な香りにウーロン茶のような深まった香ばしさが混ざり、複雑な風味になっていました。
「湿気を吸ってしまった」と現地のパートナーは少し苦い顔をして言いましたが、私はこれは面白いと思い、自分のお茶作りに取り入れることにしました。

日本に戻り、この深みを引き出すための「器」を探すなかで、愛知県常滑の朱泥の器を最適なものとして見出しました。
茶葉を入れ、蔵に保管。そして夏場を経て、いざ封を切ってみたところ、大成功。
今年の秋の「収穫物」です。

「じっとしていられない。」「早く成果が欲しい。」
電気を基盤とした今の時代、人も街も企業も加速しています。ここ数年のAIの台頭で、それはとくに目立つようになりました。
歯止めの議論が追いつかないまま進むAI開発、地元の商店の跡地に立つコンビニ、SNSに没頭する人々。
世界は直線の流れで動いていて、「いかに早く、期待した成果を手に入れるか」という仕組みに駆動されています。

実は、期待した成果を最短で手に入れるための仕組みは、人間の身体に埋め込まれています。それは成果報酬型の仕組みで、ある種の興奮性の本能です。
物も環境もまだ足りなかった遥か昔、目標を定め、そこへ向けて瞬発的に力を振り絞る。例えばマンモスを狩る場面。
この「取りに行く仕組み」が動かなければ、火事場の馬鹿力は出ず、マンモスは狩れず、餓死してしまいます。

生存に欠かせないこの仕組みの裏に、もう一つ、同じくらい重要な仕組みがあります。「待つ」仕組み。抑える側です。
「この夏の間に寝かせておけば、さらに良くなるだろう。」「明日のために、今日はここらで止めておこう。」
人間の行動には本来、この「取りに行く」と「待つ」が共存していて、その釣り合いは場面に応じて変わります。
待てずに、興奮性の本能の赴くままに走り回っていたら、エネルギーは枯渇します。「待つ」もまた、生存に欠かせない仕組みなのです。

では、なぜこの釣り合いがいま失われているのでしょうか。いろいろな観点がありますが、私がもっとも注目しているのは、企業のマーケティングとその成果です。
彼らは脳科学、心理学、あらゆる観点から「取りに行く仕組み」を徹底的に研究し、ハックすることに成功しました。いつ、どのタイミングで、どんなコンテンツを流せば、人は即座にクリックし、購入するか。成果に至る最短距離を設計して社会に実装した、その表現型がコンビニであり、SNSのコンテンツです。
コンビニに頼る暮らし、SNSに没頭する時間は、もはや本人の意思によらず、設計者たちが期待した成果物、表現型と見ることもできるでしょう。

認知のハックに続いて、心身も崩されています。
スナックや揚げ物、精製された穀物のように過度に加工された食品の摂取は、血糖値の乱高下や炎症を招き、エネルギー不足や過剰な興奮につながります。また、夜の蛍光灯、急な騒音。都市的な外部要素の多くが、心身の興奮・抑制バランスを崩しにかかります。
喫茶養生ガイドラインの「からだバランス全体像」に描いたとおり、覚醒と休息を調律する神経の層は、腸や肝臓、エネルギーを作る土台の層の上に載っています。土台で巡りが滞り、炎症が出れば、上の調律も保てなくなるのです。

こうして興奮の側に大きく傾いた社会と人々は、「待つ」ことができなくなっています。
「待てない」とき、身体の中では、抑える側が使えていません。強い刺激が続くと、「今は動かない」ができる回路から「即反応」の回路へ主導権が移る。我慢が足りないのではなく、ブレーキを踏む回路そのものが、一時的に使えないのです。
抑制は、止めるためではなく、輪郭を出すためにあります。抑制が効かないと、信号の強弱、緩急の判別が粗くなり、いわば解像度が下がる。情報を誤読し、次の問題を呼びます。これが、待てない社会と人間が抱える生存リスクです。

そこで、「お茶」です。

歴史を振り返れば、戦国時代も同じような状況でした。
戦うほかない激しい状況のなかで求められたのが、静寂きわまる茶室。

湯が沸くのを待つ。蒸らしを待つ。お茶が注がれても、適温に落ち着くまでまた待つ。極上の一杯に至るまでの手続きは、抑制性の本能を呼び出す練習にもなります。
SNSから距離を置く。心身にやさしいスローな食事を心がける。これらに加えて、あえて「お茶」という装置を生活に取り入れることが、待つ仕組みを取り戻し、生きのびる可能性を上げるのだと思います。

今月24日、習近平国家主席が訪米します。AIの安全は主要な議題の一つと見られていますが、開発を減速させようというAI企業からの提言を、米中はそろって受け入れていません。果たしてAIに「待った」はかかるのか。
人々が「待てる」をつくれなければ、変わらないと思います。