第3章 · 1 / 8
お茶は薬
神農の伝説と『神農本草経』の「荼」から、陸羽が『茶経』で「茶」の字を定めるまで。お茶が薬から独立した文化へと昇華していく過程をたどります。
古代中国の伝説的な帝王、神農は、人々に医薬と農耕を伝えた英雄とされています。
神農は、数多の植物を試食して有用植物を見極めたとされており、その際、毒に当たるとお茶の葉を噛んで解毒したという逸話があります。
これはあくまで唐代以降に広まった俗説で、実話ではありませんが、古代の人々がお茶に薬としての価値を見出していたことを物語る、優れた起源譚です。
この身体を張った神農の伝説は、後漢時代に編纂された薬学書『神農本草経』の思想的基盤となり、その権威の源泉となりました。
『神農本草経』では、365種の薬物が上・中・下、の三品に分類され、その効能・用法が記載されています。
『黄帝内経』、『傷寒論』と並ぶ中医学の古典として、現代でも参照される重要な叡智、ナレッジベースです。
『神農本草経』には「苦菜」という薬物が上品のカテゴリーに含まれています。
この「苦菜」は、当時の言葉で「荼(ト)」と呼ばれました。
荼(ト)は、苦味が特徴的な有用植物の総称語です。
「荼(ト)」に含まれたのは、食用の苦菜や、『爾雅』に「苦荼(ト)」と記された茶の木、さらに葬具に用いられる茅など、多様な植物でした。
現代でも「良薬は口に苦し」といいますが、苦味の強い有用植物に、薬としての価値が見出されていたことがわかります。
古代中国の、唐代。
陸羽はその著書『茶経』において、「荼(ト)」という字から一画少ない、「茶」の字を正式に採用しました。
『茶経』では、純粋なお茶の葉のみを用いた喫茶法が体系化されており、それまでは「荼(ト)」の一部でしかなかったチャノキ、お茶が、独立した高い文化へと昇華されました。
つまり陸羽は、多義的な「荼(ト)」の中から、飲用の「茶」の価値を見出し、それを明確に区別し、独立させることで、確固たる地位を与えたのです。
こうして古代中国において仕上がった茶文化は、以降も続き、各地に広がり、そして現代に至ります。